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BLACK KNIGHTS stage3

VF−154のルーツは1946年7月1日に海軍予備役プログラムとして編成されたVBF−718までさかのぼる。当時の基地はニューヨーク州ブルックリンのNASフロイドベネット、使用機種はF6Fヘルキャット、F4Uコルセアだった。 その後VF−68A、VF−837と名前を変えた同隊は、カリフォルニア州NASモフェトフィールドに基地を移動、予備役部隊として初めて朝鮮戦争での戦闘行動にも参加し、1953年2月4日にVF−154の部隊名が与えられた。1957年にはF−8クルセイダーの配備を受けるとともに“ブラックナイツ”のニックネームと、現在に受け継がれているシンボルマークが制定された。 1965年に北ベトナムに対する航空攻撃を実施したのを皮切りに、ブラックナイツはF−8とF−4B/Jファントムで1973年までに北/南ベトナムの攻撃目標に対する出撃をCVW−15、CVW−2に所属して実施した。 F−14トムキャットを受領後は、アメリカの国際関与を支援するため太平洋やインド洋での活動を続け、1990年にUSSインディペンデンス(CV−62)/CVW−14とともにイラクのクウェート侵攻に対するオペレーション・デザートシールドに従事したあと、1991年8月にはCVW−5の一員になるべく日本の厚木基地に移動した。 以来シスタースコードロンのVF−21と西太平洋地域で活動を続けてきたが、海軍のダウンサイジングにより1996年1月にVF−21が解散してからは、海軍で唯一の常時海外展開F−14飛行隊となった。1998年、老朽化によって横須賀配備の空母がインディペンデンスからUSSキティホーク(CV−63)に代わった後もVF−15はCVW−5にとどまり、2003年のオペレーション・イラキ・フリーダムでは約300回の出撃で350発以上の爆弾を投下している。同年9月には厚木を離れて帰国、F/A−18F飛行隊VFA−154への改編に入った。 カラー/4:3/74分/片面1層 収録内容 2001年〜2002年にかけてのVF−154ブラックナイツの空母キティーホーク上での離発艦、硫黄島での飛行訓練、訓練空域でのフェニックスミサイル、スパローミサイル、サイドワインダーの発射、 バルカン砲での攻撃訓練などを前編に収録。 特にエビエーターヘルメットに装着した小型CCDカメラでのエンジンスタートから発艦の映像は必見。後編は厚木基地での、P.O.Monger中佐のラストフライト、後任の J.H.Flatley.?中佐とのチェンジオブコマンドなど収録。
¥5,280